世界中からビートを集めて、新しいジャンルを作るーMURAKAMIGOインタビュー
越境する勇気が育てたシーン
DJに夢中になってたから、大学も5年行ったんだけど辞めちゃって。昼間は服屋でバイトして、夜はどこかでDJっていう、フリーターみたいな感じになってたのね。
でもDJを職業にするなんて全く思ってなかった。DJは25歳くらいまで楽しくやって、その後は自分でセレクトショップとかやりたいな、と思ってて。
そんな時、後輩DJのbutcherから、錦にある「アンプラグド」でDJしませんかって紹介されたの。元は食事もできるスポーツバーみたいなお店だったのかな。そこにバンドやDJを入れてみたっていう箱で。クラブとは違って音楽には全然興味がない人もいて、色んな人が来る社交場って感じだったのね。
その頃から俺、基本はヒップホップなのに、ニュージャックスウィングにハウスをつないだりしてて、変わったことをするっていうイメージを持たれてたのかな。butcherはすごくスクラッチがうまくて、カリスマ的な人気があったんだけど「アンプラグドはムラカミさんしかできない。向いてると思います」って。
始めたら気に入ってもらえて、週に3~4回やってって言われるようになったのね。そうすると、月に15~20万円くらいもらえるようになって。
アンプラグドとか、色んな店でやらせてもらううちに「すげえな」「かっこいいな」って思えるDJに出会うようになってきて。自分も同じステージに立ってみたい、プロでDJをやるってどういうことなんだろうって、経験してみたくなったんです。ファッションも好きだったんだけど、その頃には服より音楽に対する情熱の方が上回るようになっちゃったんだね。服屋を辞めて、カツカツだったけどDJだけで生活し始めたのはその時が最初です。
アンプラグドは週末に人が入りすぎて周りのお店ともめちゃって、移転したんだけど結局一年くらいで閉店することに。これからどうしようって思ってた時に声をかけてくれたのが、丸美観光ビルのunderground。今のeightがある場所ね。その頃は4階がAtlantic Bar、3階がlushっていう名前で、合わせてunderground。そこの人がアンプラグドで俺のDJを聞いたことがあったらしくて。
あとね、俺はMITSU君(現:NobodyKnows+のリーダー/DJ)と仲が良かったの。彼は俺よりも前からDJやってたんだけど、ちょくちょくイベントに誘ってくれたり、それこそ「理想のクラブ論」とか、志を語ったりするような仲だったの。MITSU君は新栄のソウルバーで働きながら、たまにundergroundを手伝ってて。
それで、lushに比べて集客に陰りが出てきてたAtlantic Barの運営を、MITSUとムラカミの二人に任せるからやってみない?って言われたの。MITSU君と一緒だったらやってみるかって思って引き受けることに。
Atlanticをやる前に、視察みたいな感じでいろんな店を見に行きました。それでiD cafe(名古屋の老舗クラブ。地下1F・地上5Fの6フロアある)に行ったときに愕然としたんです。自分たちも名古屋のヒップホップやブラックミュージック界隈では名前も通ってたし、そこそこのシーンもあると思っていた。けど、iDには比べものにならない人数のお客さんがいて、めちゃくちゃ盛り上がっている。急に自分たちが小さく見えてきちゃったんです。
すごく音楽にこだわってストイックにやってきて、名古屋にもヒップホップのシーンができたっていう自負があった。でも、あまりにもメジャーなシーンとかけ離れてる現実に気づかされたんですね。このまま続けていても、小さい輪の中で内向きになって、結局みんな総倒れになっちゃうんじゃないかって。
同時に、メインストリームの場所で遊んでる人たちにも、一回でいいから自分たちの方にも来て欲しいなと思ったの。だから、同じことを繰り返して共倒れになるより、Atlanticはまずお客さんを入れることを最優先にしよう。ミーハーとかコマーシャルとか言われても、キャッチーな曲もかけていこうっていう方針を立てたんです。
■ずっとアンダーグラウンドでやってきたのに、急に路線変更をすることには抵抗があったんじゃないですか。
今までの先輩も後輩も友達も、全員を敵に回してもいいからとにかくお客さんを入れる。それがきっとシーンのためにもなるし、いつかは分かってもらえるだろう。そう信じて始めたんだけど、実際は逆で「よくぞやってくれた」って最初から協力してくれたの。みんなもどこかで危機感は感じていたんでしょうね。ものの一か月くらいでお店はパンパンになりました。
ミーハーって言っても、自分たちの意に沿わないことをやってたわけじゃないよ。当時はZIP-FM(名古屋のFMラジオ局)の影響力がすごかったから、ZIPで流行っているような曲をかけつつ、それと絶対セットで自分たちが推してるヒップホップをかけるとか。セルアウトしてるわけじゃなくて、ミーハーな部分は利用しつつ、魂をこめてやってましたね。
ただ、俺は昔からポップなものも好きだったから向いてたっていうのもあるかな。ポップなものとアンダーグラウンドなものって実は表裏一体なんですよね。ハードコアなことしてても、実力のある人は絶対ポップなセンスもあるし、逆にメジャーなシーンでもしっかりとした音楽的なバックボーンがなければ人気は出ないですよ。
その後はAtlanticじゃなくてメインのlushの方を任されるようになりました。週末は1000人くらい入るようになってましたね。最初は俺とMITSU君とあともう一人の3人で、バーもDJもキャッシャーもやってたんだけどさすがに回らなくなって。(笑)平日は若い子に任せようって、ピックアップしたDJがCAUJOONとかYANOMI(OBRIGARD)です。
金曜は名古屋のヒップホップのパイオニアの吉田忠能さん、土曜はHAZU君にお願いして。今もあちこちで活躍しているDJのKANBE君も当時はオープニングでR&Bをかけてくれたんですよ。その頃lushに遊びに来てた子たちとMITSU君で結成したのがNobodyKnows。ラッパーのSEAMOもいたし、TOKONA-Xもよく来てましたね。
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