パーティ文化を広めたいーDJ Shigetaインタビュー
2000年から18年間続くディープハウスとダンス・ミュージックのパーティwideloopを主宰するDJ Shigetaは、いま名古屋で最も精力的にパーティを仕掛けているDJ/オーガナイザーだ。名古屋や四日市のクラブでレギュラーのパーティを持つほか、春は山で、夏は南知多や鳥羽の海で、機材や資材を満載したトレーラーを牽引してゼロからパーティを作る。また、DJユースのオーダーメイド・ヘッドホン「solid9」の制作も手掛けている。その類いまれなパーティへの情熱、あふれるDIY精神のルーツに迫った。
interview with DJ Shigeta
パーティ文化を広めたい
text&edit:Yoshimi Ishiguro photo:Satomi Enomoto
■重田さんは、名古屋出身の方なんですか?
重田:いや、東京。こっちに住んで18~19年くらいかな。就職で愛知に来て、東京と行ったり来たりしてた時期もあったから。
■なんの仕事をしてたんですか?
重田:まあ、正確には岡崎なんだけど、車の会社。デザインをやってて。
■車のデザイナーってことですか?新しい車のデザインとかを?
重田:そうそう。先行開発っていうのを長くやってたんで。
■えー、すごい!デザイナーってことは、昔から絵を描いたりしてたんですか。
重田:絵はあんまり得意じゃなかったかな。どっちかっていうと作る方が好きな人間で。小さい頃から工作っていうか、木を切ったり削ったりするのとか好きだったんで。チャンバラとかやるじゃないですか。その刀とか作って。それで、友達の分も作ったりとか。…あんま変わってないかな、ヘッドホン作っている今と。
■DJを始めたのはいつから?
重田:高校の時かな。大学に入るちょっと前だね。ラジオでDJのミックス・ショーをすごい聞いてたから、興味あって。それでレコード買い始めて「なんか…つなぐらしい」みたいな。
1980年代後半、DJブームの頃なんだけど、今と違ってほとんど情報がなかったから。曲のつなぎ方も分からなくて、似たようなBPMの曲を探してつなげたり。今では当たり前だけど、ターンテーブルにスライド式のピッチコントローラーが付いてるのがあるって知ったのがけっこう後。これ、すげえいいじゃん!みたいな。(笑)
■その頃からディスコとか行ってたんですか?
重田:そうだね、高校時代にディスコに行き始めたんだけど「ガキが行くディスコ」みたいなのが新宿にあって。ビルに全部そういうディスコが入ってて、流れてるのはヒットチャートと、ユーロビート。
■そんなディスコがあったんですね。
重田:マセてる子は六本木とか行ったと思うよ。でも僕らが行ってたのは、中途半端な不良が行くっていうか…。アルコールもたぶん無かったんじゃないかな。フードがバーッて並んでて、取り放題で。踊り方も曲ごとに決まってて、みんな同じ踊りするみたいな。この曲はこういう踊り、って。
■全然想像できないです。
重田:まあ、時代だよね。(笑)で、ブラコンがすごい流行って、ブラックミュージックがすごい好きだったから、そういう踊りやるようになって。友達と二人でダンスのチーム組んで。コンテスト出ようとか言って。
■えー!重田さんダンサーだったんですね。「元気が出るテレビ」の「ダンス甲子園」の頃?
重田:いや、もっと前。でも、相棒がやらなくなって、やめちゃって。
当時、ちょうどハウスが出てきた時期で。ラジオのミックスショーでハウスが流れて、何だろなコレ?すごく暗いし、聞いたことないな、みたいな。
■ハウスを知ったのはラジオからだったんですね。
重田:FM横浜がDJミックスの番組に力入れてて、夜の24時くらいから1時間くらい、色んな曲がかかるんだけど、半分くらいはハウス。もうなくなっちゃったんだけど、WAVEっていう大きいレコード店が六本木と渋谷にあって。当時シングルが1枚500円くらい。その頃にはもう、すごく買ってた。
■じゃあ、DJもやってたんですか?
重田:バイトみたいな感じで。六本木に外国人が集まる地区があって、バーとか、ちょっとしたクラブみたいな店が色々あったのね。そのエリアのクラブでDJをやらないかって紹介されて、時給制でやってた。
■その頃からハウスをかけていた?
重田:ハウスをかけると、客の外人に「お前、DJはうまいけど、俺たちの曲を知らねえ」とか言われたりして。ヒットチャートの曲とか、客のリクエストをかけろと。(笑)で、隙を見てハウスかけるみたいな。
■当時、東京にはハウスをメインにかけるクラブはあったんですか?
重田:あったんじゃないかなあ。その頃は、いわゆるウォーターフロントの時代だったんで。「インクスティック芝浦」とか、「寺田倉庫」とか、「ゴールド」もあったし。芝浦界隈に色んな店ができて、また新しいのがオープンしたとか、そういうエンターテイメントの時代だった。
■バブルの頃?女の子はボディコンみたいな…
重田:そうだね、バブル。今よりもっと車に憧れがあった時代で、車で遊びに行って、車の中で自分で作ったミックステープを聞くっていう。(笑)
色々行ったけど、小箱は知らなかった。当時からあったのかもしれないけど、たぶん、小さいクラブで遊ぶっていうのが広まったのはだいぶ後だよね。
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